Kościół * Church

 聖十字架教会
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photo by T.I
私が毎日レッスンや練習に行く前に寄っていた教会です。
ここはショパンの心臓が眠っています。
ショパンは1830年に家族や友人を残した故郷を離れてから、一度もポーランドの土を踏む事ができませんでした。遺体はパリの墓地に埋葬されましたが、心臓だけはショパンの遺言どおりポーランドへ持ち帰られました。聖十字架教会 動画

ミサに参加してパイプオルガンの響きの中で色々なことを感じたり、
またその空気の中で自分を振り返ったり家族や友人を思ったりしながら毎日静かな時を過ごすことができたのはとても良い時間でした。いつ行っても少なくとも10人くらいの人がいて、みんなお祈りしたり、懺悔室に並んだりされていました。
この空気の中にいると自然に神聖な気持ちになれ、自分がどう生きたいのかを穏やかに再認識でき、お風呂に入った後のようなさわやかな心地よさが体にありました。

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 ヴィジトキ教会
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ショパンが高校生の頃、この教会でミサのオルガンを弾いていたそうです。写真は朝日の中の教会。ジェカンカから学校に行く道にあります。
私はたくさん入った教会の中で、この教会が一番好きでした。
いつもは玄関を入ってさらにもう1つの扉がしまっていて、窓越しにしかのぞけなかったのですが、1日だけたまたま入れました。

ヴィジトキ教会 動画

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すごくたくさんの人と、テレビカメラの人達、なんだろう?と思っていたら、途中でお葬式であることに気付きました。
もの哀しい音楽がずっと奏でられていて、寂しくなるけれどとてもきれいな音楽でした。
数日前の屋根の落下事故の方だったのでしょうか。お祈りしてあとにしました。



 聖アンナ教会
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入国した次の日に、ポーランド内の展示場で屋根の落下事故があり、それから3日間ほど市内は半旗が掲げられコンサートなどもすべて中止になりました。
ワルシャワとは離れた都市の事故でしたが、この教会には長蛇の列ができていたそうで(友人談)街中の人がお祈りに来ていたそうです。
カトリック王国の姿が感じられた出来事でした。
日本でも事故などがあった時、もちろん皆同じ気持ちで祈ると思いますが、
実際に足を運んで祈ること、またそういう場所があるのは、
祈られる人にとっても祈る人にとっても、その人の生き方にまた違う何かを生むように感じました。



 聖ヤン教会
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14世紀に建てられたワルシャワで最古の教会。旧市街への道の途中にあります。
歴代の王の戴冠式はここであったそうで、地下にはパデレフスキなどポーランドの著名人の墓碑もたくさん置かれている場所です。
ワルシャワにおいてオルガンが最初にできた教会でもあるそうです。



wrote in 15 June 2006
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 Lekcja * Lesson

ピアノレッスン * ダンスレッスン * オペラ鑑賞「Aida」 * 修了式


ピアノ Piano

ピアノレッスンは到着3日目からショパン音楽院にて1~2日置きにありました。
練習室は毎日4~5時間くらい使うことができ、他の時間は他の子のレッスンを聴講したり、
市内を散策したりしていました。
私が師事したマナステルスカ先生はとても穏やかな方で、音の想いを大事にされ、
語りかけるような音が印象的でした。
バラード1番の出だしを弾かれた時のCの音から広がった世界は今でも忘れられません。
そのCの音を先生は「種」と表現されていらっしゃいました。
マズルカでは、戸を閉めた時と開けた時に聴こえてくる音楽や、
拍のアクセントについてお話してくださいました。

* my program *

- Chopin -
アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ
バルカローレ
マズルカ op.59-2
バラード g moll

* * *

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マナ先生は、ロシアンメソッドで学ばれたそうですが、
それはBarrySnyder先生(米人)と同じものでした。
アメリカはロシアからたくさんの亡命者がいたので、
その時にたくさん良い芸術も伝わったそうです。
それは腕の重さや体を自然に使い、指の付け根を支点として指先に効率的に圧力を運ぶことができるメソッドで、大きなホールで遠くまで豊かに響く音(open sound)を弾くのに大切な奏法です。
演奏する時一番大事なのは、いつでも、心で感じ、耳でその音を求めていくことではありますが、
メソッドは身体の面からそれに近づく手助けをしてくれ、また教える時に非常に役立ちます。

パレチニ先生のレッスンも聴講しました。
おやじギャクをかなり連発・・通訳の方も友達も苦笑い状態で(・ー・;あはは?
受けなければ受けるまでゆっちゃうような・・^^雑誌などで見るイメージよりも砕けていて明るい方でした
演奏家なのでたくさん弾いてくださり、1小節ずつとても細かいレッスンで
やはり音に対する妥協がなかったです。^^

そんな中、ポーランド人としての先生方に共通して感じた事は、
穏やかさの中にある強さや深さで、心・気品を大事にしていることでした。
それはショパンの音楽やポーランドの街全体、歴史から感じるものとも共通していました。

またポーランドの人達は、ショパンを愛し尊敬しているのと同時に、
そっと守り、支えているような印象も受けました。


帰ってきて1ヶ月経ちましたが、行く前と後ではショパンの音から感じる世界が明らかに変わりました。
ポーランドを訪れたことがある方の文章や演奏も分かるようになった気がします。
自分が表現するにはまだまだたくさんの努力が必要ですが・・・
私はポーランドのその音楽の作り方、演奏姿勢・精神がとても好きでした。
wrote in 22 Mar 2006


* * *



jumee☆ballerina2p Dance

今回、ポーランドの民族舞踏のレッスンもありました。
ポロネーズ、マズル・オベレク・クヤヴィヤク、クラコヴィアクの踊りを
それぞれ見せてもらいながらみんなで踊りました。
とても楽しい時間で、先生の踊りや体で感じるリズムはとても勉強になりました。( ポロネーズ動画

まず初めにポロネーズをしました。
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ずっと「歩く」踊り・・というかステップなのですが、
綺麗に歩くのが難しかったです。
足の出し方、顔の左右への向け方などの基本はバレエと同じでした。

アーチをくぐったり大勢でつながったりしながら、
楽しくて満面の笑みになって踊っていた私ですが、
「宮廷舞踏なので微笑みの口は小さくにっこりくらいにしましょう」と言われちゃいました(^^*
ポロネーズは、今の時代でも高校の卒業式などお祝いの時に踊られるそうです。

次はマズル。
先生が踊り始めの体勢をとっていたので、パートナーと手を組んで真似ようと準備していたら、
「ぎゃーー!!」という奇声にちかいような掛け声でダンスが一瞬のうちに始まり
すっごく速い動きと活発さにびっくり!みんな大うけで「無理~~!無理~~~!」と叫んでました。
その場みんなのテンションが一気にあげられて、そのパワーはすごかったです
みんなと踊ったマズルはもう少し簡単なものにしてもらえました(^^

次のオベレクは思っていたよりも随分速かったです。マズルとそんなに変わらない感じでした。

その次はクヤヴィヤク。マズルのようなにぎやかさはなくしっとりとしたステップでした。
最後に踊ったのはマズルだと思っていましたが、あれはクラコヴィアクかな?
みんなで輪になって横に走るようなステップで回って8拍ずつの振りでした。

ショパンの「マズルカ」はマズル・オベレク・クヤヴィヤクの
3つの舞踏曲が混ざり合って作られている曲です。
彼は小さい頃から生活の中でこれらの舞曲に普通に触れ、
ワルシャワから亡命した後も故郷を想い生涯そのリズムを書き続けました。
しかし「マズルカ」は踊るための曲ではなく、
ショパンの頭の中で作られたファンタジーな芸術作品です。

実際に見れて踊れて、演奏の為にもとても良い経験になり、
毎日レッスン受けたいくらいでした。^^

最後にポーランド民謡を歌ってくださいました。それは日本でよく知られている
♪森へ~行きましょ~~娘~さん~  でした
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wrote in 22 Mar 2006


* * *




桜花びら 修了式 & 修了パーティ

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修了式

全てのレッスンが終わって数日後、修了式、パーティーがありました。
マナステルスカ先生には
「とても音楽的で、あなたの伝えたいことが良く分かります。あなたの演奏、私とても好きです。」
と言って頂け、修了演奏会に推薦して下さりとても励みになりました。

自分でレッスンのMDを聴いていくと、初日と後半が別人のように演奏が違いました。
テンポの設定、ペダルの呼吸、ほんのわずかな違いですが、
その曲の”空気”が変わっていました。

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マナ先生クラス
先生のレッスンは今振り返っても、とても素朴な音楽でした。
余計な表現はせず、体と連動した自然な呼吸を取り入れ、
どの曲も、全体的なテンポは遅め。。
ショパンが生きていた頃の時間の流れを思い起こさせていただけました。

それは、音楽そのものの形やきらめきをよく見せてくれ、
一聞地味に聞こえるかもしれないけれどずっとずっと心に残る、
そういったものの美しさや素晴らしさを、改めて感じることができました。


帰ってきて月日が経つと、色々なものに埋もれてまたそれを忘れてしまうことがよくあります。
未熟な演奏なのだけれど、この時のMDには何か貴重な空気が存在していて
今もふと、教えられ、基本に戻らさせてくれることがあります。

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ディプロマ & 先生からの贈り物

修了セレモニーで一人ずつディプロマをいただいた後、
マナ先生はなんと、門下生全員にプレゼントを用意してくださっていましたキラキラ・桃
袋には一人ずつ名前を書いていらっしゃったので、先生は一人一人お考えになって
CDや楽譜・小物を選んでくださったのでしょうか?
修了式で先生からのプレゼントを頂いたのは初めてでした。
サンタさんのようにプレゼントを配る、とても温かいお心遣いに感動したセレモニーでした。卒業証書

wrote in July 2007


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 Academia * Academy

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ショパンアカデミーはポーランドでは一番大きな国立音楽大学で、大学課程は5年間らしいです。1826~29年にショパンもヨゼフエルスナーのもとここで学び、パデレフスキやツィメルマンなども卒業生です。
学校内はとてもきれいでした。このあいだのショパンコンクールで一斉に学校も街もきれいになったそうです。写真はエントランスすぐのところにあるショパン像。右にいくと、写真のようにコートを預けるクロークがあります。クロークはお店などどこにいってもあって、預けるように言われます。このクロークのおばちゃんは毎日挨拶してもいつも無表情な顔でしーん。。。でも、1週間くらい経った時、引き換えの札を渡す前に、私の顔を見てコートを持ってきてくれて、「wa~~す~ぺる~」と思わず言った時「・・・( ̄ー ̄)ふっふ」と、やっと笑ってくれました(・ー・)
階段を上がるとレッスン室や練習室、ホールなどがありました。ロの字型の建物なので、向こうに見える窓のところが練習室です。

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練習室のピアノは、予想通りな感じでしたでもフランスよりはましだったような。。海外は日本のように調整されたピアノがなかなかないんです。
フランスの時はハンマーがおれてたり、ペダルがあがらなかったり、鍵盤がもどってこなかったり。。今回はそこまでではなかったですが常にシャラララ鳴っていてペダルの練習ができない部屋や、ある音だけ音質が飛び出たりひっこんだりすることも普通です。レッスン室のピアノは普通に弾けるものだったので、そういえばピアノってこいう楽器だった・・とレッスンのたびに思いました日本は音大でなくともまともなピアノがどこにでもあります。とても恵まれていますよね・・
でも、そのアカデミーのピアノ達も味があって・・今は懐かしいです。
休憩の時は窓の向こう一面の公園を眺めてました。雪の中を散歩の犬が嬉しそうに走り回っていました


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1階には楽譜屋さんもあり何度もたちよりました。お店のおじさんはポ語とイタ語しかしゃべれなくて、私は英語と日本語。。通じる言葉が何もない状態でしたがなぜかコミュニケーションがとれたくさん楽譜を探してもらい、おみやげものや近くのご飯やさんも紹介してもらえました。このおじさんは20分ほど歩いたオペラハウス近くの楽譜屋の店員さんでもあって、あっちへ行っても「じんどぶるぃ~~♪(Hello~♪)」といらっしゃったのでびっくり?!「今日はいいものがあるよ~(推測)」と、プレリュードの自筆譜を見せてくださいました。帰ってきてから分かったのですが、元ワルシャワフィルの団員さんだそうで、サヴィツキさんというそうです。朗らかでよく歌っていて体も大きかったので、歌の人かとおもってました

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私達の宿泊は学校の寮「ジェカンカ」で、学校から歩いて15分くらいの所にありました。毎日歩いて通う道には、教会が3つに、スーパーやCAFE、本屋さんやケバブのお店、なんでもあって、あきることがありませんでした。夜も1人で歩いている女の子もいたりして安全な街でしたよ☆お店を探して人に尋ねてもみんな親切に教えてくれ、ついてきてくれた女の子もいましたその子は、5分くらい話しながら歩いた後、別れ際に名前を聞いてくれました。ほんのちょっとの出会いだけど、名前を紹介しあうのっていいな~と思いましたナターシャちゃんと言ってとってもかわいいアカデミーのフルーティストでした。

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さて寮のお部屋はこんな感じの2人部屋で快適でした写真を見ていると毎日ルームメイトと感動を語り合ったことを思い出します
ここでびっくりしたのは空気が「静か」だったこと。雪が音を吸収するのか、無音というものを初めて体験した気がします。普通は静かだと、何か機械のぶーんという音がしていたり、外の音が聞こえたりしますよね?そういうものが全くなくて、ほんとに無!誰かがしゃべらないとシーーーーーンとなって、そして音がないと平衡感覚?とか距離感がおかしくなるような・・・不思議な感覚がありました。
・・・今日本は春になってきて、空気が生き生きと動いていて・・空気にも生命を感じますが、そのポーの冬の夜は空気の中に何の息吹もなく、すべてが寝静まっている・・という感じでした。そういう空気の中で毎日過ごしていると、自然に人の気も落ちついたものになってくるのでしょうね。。^^?

wrote in Apr 2006

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Chpin’s Footsteps

 ショパンの生家 ウォンチニスキ家  The Chopin's house Łączyński in Żelazowa Wola

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ジェラゾバヴォラにあるショパンの生家へも行きました。
ワルシャワから車で1~2時間くらいで、移動中はのどかな広い風景でした。

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ピアノも展示してありましたが、黒鍵の幅が狭くて長かったです。
これなら黒鍵のエチュードも弾きやすい??
オクターブも届きやすいので白鍵も少し狭いようでした。
ピアノの高さも低いので、弾く姿勢も現代とは異なってきますね・・・

※追記 このピアノに関してプレイエルと記憶していた私たちでしたが、そうではなく
19世紀のワルシャワのピアノ会社、F・レシチンスキ社製だろう、ということになりました。
(参照:「ショパンへの旅」足立和子(2000年発行)
ちなみに、鍵盤の幅に関する質問をお受けしましたが、
こちらのピアノは確実に現代の物よりも幅が狭かったです。
プレイエルに関しましては、実際の19世紀のプレイエル社製を弾いたことがありますが、
グランドピアノは現代のピアノの幅と同じように感じ、アップライトに関しては少し狭く感じました。
ショパンはワルシャワとウィーンにいた時代は、ウィーン式のアクションのピアノを使っていたと
聞いています。(プレイエルはイギリス式アクション)



ショパンのお気に入りのピアノはプレイエルでした。
プレイエルに関するショパンやその弟子、リスト達の言葉が残っています。

「気分のすぐれない時はエラールのピアノを弾きます。これだとすぐに完成された音が出せますからね。でも元気があって自分だけの音を出してみたいなと思うときは、プレイエルが必要なのです。」 
カラソフスキが聞いたショパンの言葉

「ショパンは少しやわらかくヴェールがかったような、銀のような音色のタッチの軽いこのプレイエルピアノをとりわけ愛用していた」 
リストの言葉

「ショパンは極端に強いピアノの音には耐えられなかった。そんなものは「犬の吠え声」だと言っていた。昔は楽器も小さくて華奢なものだったから、フォルテを引くと本当に不快な音がしたのである。」 
ミハウオフスキによるミクリの言葉
* ミハウオフスキはミクリの弟子、ミクリはショパンの弟子です。
「弟子から見たショパン」より

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CIMG1400.jpgここのKAWAIのピアノで
パレチニ先生門下のポーランドの女の子の
演奏を鑑賞しました。

ショパンの書いた絵↑や手紙もありました。
手紙は丁寧な装飾文字、直筆のイラスト→
が書かれていました。
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生家の裏庭にはショパン像。雪に埋もれてひっそりとたっていました。
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 ショパンの家 カジミエーシュ宮殿とクラシンスキ(チャプスキ)宮殿
   The Chopin's 2 houses in Warszawa 

CIMG1448.jpgワルシャワ市内のワルシャワ大学内にもショパンが住んだ家が残っていて、今は教室になっているみたいです。(左写真)
7歳から17歳まで住んだそうです。

右下写真は聖十字架教会の隣の隣にあり、その後20歳まで住んだ家(2階)とその部屋です。(現在は美術大学)
コンチェルトなどのワルシャワ時代の作品の数々はここで生まれました!

案内のおじさんは、「ポーランド語?ドイツ語?」と言う風に質問してこられましたが、私達は「only English。。」だめだこりゃ~という素振りをされましたが、
結局おじちゃんはがんばって英語で解説してくださいました。
さすが、ショパンに関する年代を全て覚えていて、家族のことなどたくさん説明してくださいました。
でも戦争の話になって家が壊れる話になってくると興奮してきてドイツ語になってきてました。。。
「全部壊れてしまったんだ・・」というくだりではいつもとても悲しそうな顔をして全身で表現されていました。
写真の通り、国民の手によりここもきれいに復興されているので、私達は当時のショパンに思いをはせることができました。

ここの窓からは当時からある教会が2つ見え、前の通りを歩く人を眺めながら、ショパンが見た風景を思い浮かべました。
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この写真の左奥には当時上への階段があって部屋があったそうです。



 ショパン協会(博物館)

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ショパンアカデミーのすぐ斜めうしろには、ショパン協会がありそこはミュージアムになっています。そこで見たショパンのパスポートによると、身長は170cmだったそうです。
ショパンの手形もありました。小指がとってもながくて指は細め。
私より少しだけ大きいくらいでした。よく小さいと言われるショパンの手ですが、そんな事はないと思いました。楽譜から音符を拾っていても、10度は普通に届いていたことが分かりますし・・なぜそのような噂が広まったのでしょうね?リストより小さかったからでしょうか。
デスマスクもありましたが、本当はもっと苦しそうな顔をしていたものを少し穏やかに作り直したものだそうです。
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これはジェラゾバヴォラでで撮った
自筆譜です。
自筆譜や手紙もたくさんありました。
20歳くらいまでの手紙はとてもきれいで丁寧な字で、晩年になると走り書きになり、行も少し斜めになっていたりして(若い頃のものにはそういうものはありませんでした)病気による呼吸の乱れを感じました。
楽譜も細かく丁寧に書いてあり、ペダルの指示やデュナーミク、アクセント記号などももちろんそのままでした。
ウィーンではモーツアルトとベートーヴェンの自筆譜を見ましたが、
それぞれ特徴的で性格がよく出ているように感じました。

wrote in Mar 2006

Phrase >> Akademia Muzyczna im. Fryderyka Chopina >> Slad * ショパンの足跡

 

1月27日~2月13日 The Fryderyk Chopin Academy of Music Piano Seminar  * piano solo

:: 会場ショパンアカデミー(ワルシャワ、ポーランド)
:: 曲目Chopin / マズルカop.59-2
Chopin / アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズop.22
Chopin / 舟歌op.60
Chopin / バラードNo.1 op.23
Chopin / ピアノ協奏曲No.1

 

1月21日(土) white avenue コンサート    * niko

時間 15:00~ / 17:00~ 
会場 日航ホテル大阪
曲目 Asian Dream Song
    燕になりたい    
    ストレンジャーインパラダイス(韃靼人の踊り)  他 各回10曲ほど

主催 ホテル日航
    大阪音楽大学

 

演奏録 --- Piano --- Solo

2005年以前  2006年  2007年  2008年  2009年  2010年  2011年


iPad操作性改善用暫定コード(ver1.0.0.121220)