2月25日(土) white avenue コンサート   * niko

時間 15:00~ / 17:00~ 
会場 ホテル日航大阪
曲目 太湖船
    康定情歌
    采茶灯
    ラストエンペラー  他 各回10曲ほど

主催 ホテル日航

 

about this page ・・・

こちらのページでは、過去受講したセミナーなどについて綴っています。
ショパンやクラシック音楽をさらに身近に感じていただけたら嬉しいです。

早川奈穂子


 

Wiedeń * Vienna

9~12 Feb 2006

* 1st dayシュテファン寺院 ~ フィガロハウス ~ ウィーン国立歌劇場 *
* 2nd day中央墓地 ~ カール教会 ~ シェーンブルン宮殿(宮殿・CAFFE・コンサート) *
* 3rd day
*
美術史博物館 ~ ホーフブルク ~ シシィ博物館 ~ 
ベートーヴェンハウス ~ ヴォティーフ教会 ~ シュテファン寺院
 *
 *
* departure dayウィーン川 *


日目

「なおちゃん優雅に泣いてないでこれから1人なんだよ!
と、ウィーン空港で泣きながらみんなと握手していた私に言った友の言葉で始まった1人ウィーンの旅。
ウィーンで会う予定だった友人は私がポーにいる間におばあちゃんが危篤で日本へ帰ってしまったのです。
ゲートを出て、とりあえずトイレにスーツケースごと30分ほど引きこもって作戦タイム。。
ホテルに到着するまでの電車では不安と寂しさとポーへの郷愁で泣く。。。汗(だらだら)

日本でもポーでのセミナー中も、プランを立てる時間が結局なかったので、
お気楽ぷらぷらな3日間となりましたが今では良い思い出満喫できました☆
 wrote in April 2007


 シュテファン寺院  Stephansdom

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この教会はかつてショパンも訪れた教会で、ウィーンの真ん中にあります。
セミナーのみんなとは空港で別れ、1人でウィーンに出て
私は即効ワルシャワが恋しくなってしまいました。
窓から見える風景がちがう、空が違う。。
「国」は建物に表れるのを感じ、寂しさを感じる中、無性に教会へ行きたくなり、ホテルについてすぐにシュテファンへやってきました。
「教会」という場所だけは、国が違っても世界どこでも繋がっているような気がしたのでした。


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ショパンも、祖国を離れてまずウィーンへ行きそれからフランスへと渡っていきました。
1830年のウィーン滞在中のショパンは、彼の人生ではかなりの激情を抱えた特別な時期であり、その時期の手紙も曲も激しい悲しみや寂しさが表れています。

クリスマスの夜にシュテファンに立ち寄ったショパンも、祖国と繋がりを求めて教会にいたのかも・・と思いました。(この日のショパンの様子は日記にて)
それは私のその日の「寂しい」とは比べものにならない大きな感情だったことでしょう。。。
教会はすごく豪華でびっくりしました。ポーの教会とまた全然違う細かい装飾。
そして、祈りの場という雰囲気ではなく観光地となっていて、人はたくさんいるけれどお祈りしている人がほとんどいない所もポーとは違うなぁ。。と感じながら1時間ほど滞在しました。

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ここの教会には偶然ウィーン滞在最終日の夜にも通りかかってミサに参加したので、
最初も最後もここで過ごすことになりました。

ミサはさすがに人がいっぱいでした。
最終日は誰とも話していなかったのもあって、
ミサで周りの人に会釈する場面ではなんだかほっとすることができました。

* topへ *  wrote in June 2006



 フィガロハウス Mozarthaus Vienna

モーツアルトが3年(1784~87年)住んだ、"フィガロの結婚"を作曲した家で
今は博物館となっています。
シュテファン寺院のすぐ裏、歩いて5分くらいですが、だいぶ迷いました。

写真を撮るのは忘れてしまいました。
私は博物館よりも、そのアパートメント自体が印象に残っています。
そんなに広くない普通の部屋。階段もごく普通の幅。
本当にごくごく普通のマンションという感じでした。

ここも数ヶ国語(日本語あり)のガイドプレーヤーを貸してもらえ、それを聴きながら歩きました。

* topへ *  wrote in sep 2007




 ウィーン国立歌劇場  Wiener Staatsoper

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未計画な行動だったので
スーパーの袋持ったままです
クロークで預かってもらえました(笑)
シュテファンの後、開演時刻前にたまたまオペラハウスの前を通りかかり、
モーツアルトの格好をしたダフ屋さんに話しかけられました。
最初は観るつもりはなかったのですが、フィデリオだったし良い席だったので、
交渉して少し安くゲット♪
オペラを観ることになりました。

しかしこれまたあらすじを3行くらいしか覚えていない。。 
今度は席の前に英語の字幕が出るけれど、読みながら聴くのは疲れてきてとうとう読まなくなりました

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でもウィーンフィルの音には感動でした。
オケでこんな演奏を聴いたのは初めてでした。
ソロのように音の表現密度が濃いのです!
あのような演奏は、団員の1人1人がソリストとして通用するくらいでなければでてこない音ではないでしょうか。
全ての楽器、旋律が音楽的でした
素晴らしい演奏者各個人が持つ音楽がそれぞれ自由に歌われ、その自然な呼吸が結集されているように感じました。
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5回目くらいの拍手です

途中に挿入されるオケのみの20分ほどの序曲は大感動な演奏で、
細かい物語が分からなくてもこれを聴けただけで大満足でした
隣に座っていたウィーン人のおじちゃんは、30年前に日本に来たらしく、
上機嫌によくしゃべる方で、休憩時間も楽しく過ごせました。
彼は終演後感動して号泣していらっしゃり周りもスタンディングオーベーションの嵐で閉幕となりました。

そんな事情で、初日から23時過ぎのウィーンの街を30分ほど1人歩いてかえることになりました
風が吹いていたのでワルシャワよりも凍えるほど寒かったですが、無事ホテルまで辿り着けました。

* topへ *  wrote in June 2006



日目、ホテルの朝ごはんを食べながらその日の計画をなんとなく立て、
午前中は中央墓地へ、午後はシェーンブルンへ行く事にしました。

ちなみに滞在したホテルはRennwegという駅にあった
Artisというアメリカンスタイル(日本のビジネスホテルのような感じ)のホテルで、
空港からSバーンで20分くらい、Sバーンでミッテ駅まで5分くらい、リングへはトラムを利用して5分くらいなど便利な場所でした。
日本からネットで予約して決済もすませ、プリントアウトした紙切れ1枚をもって行くだけだったので不安もありましたが大丈夫でした♪
フロントのお姉さんはいつも親切で電車の路線や時刻や周り方など色々と教えてくださいました。
墓地へは、「中央墓地」という名の駅(Zentralfriedhof)の2つ目(Zweite Tor)で降りると便利といわれました。
ホテル近くのトラムの駅(Renweg)から20分くらいでした。

* topへ *  wrote in April 2007



 中央墓地 Zentralfriedhof

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ここにはベートーヴェン、シューベルト、シュトラウス(父&子)、ブラームス、グルックのお墓と
モーツアルトの記念碑があります。

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ベートーベンのお墓モーツアルトの記念碑。モーツアルトは遺体が不明なのでお墓はありません。シューベルトのお墓。
白鳥の彫刻があります。
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シュトラウス(子)、ブラームスのお墓普通の方のお墓はこのような感じです。
おじゃましました~。


作曲家が集まっておしゃべりしているかのように
モーツアルトの記念碑を囲むようにこれらのお墓がありました。
ここには、その後の数々の音楽家も訪れたことでしょうから
そう思うと感慨深いものがありました。

お墓に行くと、少しその作曲家と近づけ、挨拶できたような気分になります。
またゆっくり行きたいです。

* topへ *  wrote in oct 2007



 カール教会 Karlskirche

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トラムにまた乗り、Uバーンに乗り換える駅まで行く途中、きれいな教会の屋根が見えたので降りて歩く事に。
行ってみるとカール教会で、ウィーンでもっとも美しいといわれるバロック教会だそう。

天井まで鉄の棒で組み立てられたエレベーターが設置してあって
天井のフレスコ画が間近で見れました。
近くで見るととっても大きな絵。
描く人は全体バランスをどうやってみながら描いたんだろうと・・
かけられた時間の多さを感じました。

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隅に見えるものがエレベーター
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パイプオルガン


* topへ *  wrote in sep 2007



 シェーンブルン宮殿 Schloss Schönbrunn
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Uバーンに乗ってシェーンブルン宮殿へ。
駅の周辺で「入り口はどこ?」と6人連れの方々に尋ねられました。
もちろんわかりません(笑)
私もうろうろしていると、「こっちみたいだよ」と結局連れて行ってもらうことになり、1日共にする事となりました♪
スペインから(3人)とブラジルからのご一行さんで、彼らもホテルで知り合ったそう。話し相手ができてよかったです♪チケットを一緒に買ってくれたり、安くなるよう交渉してくれたりもしました(^m^)

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宮殿内部は撮影禁止だったので写真がありませんが、こんな感じでした。(ポストカードです←)
ここはワルツが踊られていた踊りの間です。
部屋には大きな絵画もたくさんあって、マリーアントワネットとモーツアルトの幼い頃のものもありました。

この後は夜のコンサートの時間まで彼らと別行動をすることにし、グロリエッテ前までやお庭を歩き周りました。

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時計グロリエッテ庭園

宮殿前の庭園は1周すると歩いて2時間くらいかかるでしょうか。
温室や日本庭園もありました。春や夏はさらにキレイでしょうね♪
もう1度行きたいです。

その後は近くのビアハウスで食事をし、シュトラウスのCAFFEへ。


* topへ *  wrote in April 2007



日目

シシィ博物館 Sisi Museum

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陶器の暖房器具
この中に炭を入れて部屋が暖められます。
オーストリア国王フランツヨーゼフの后、エリザベート(通称シシィsisi)の博物館に入りました。

オーストリア国内では浪費などで批難を浴びていた彼女ですが、ハンガリーでは慈善事業に取り組み国民に慕われていたそうです。
このとき私は彼女についてほとんど知識がありませんでしたが
博物館の案内プレーヤーで彼女の心の声をきいていると、
献身的で慈愛のある人間らしい女性であるように感じました。

この時代は少し前のマリーアントワネットにしてもそうですが、
市民の不満が宮廷に向けられる事が多く、たくさんの噂も飛び交っていたのでしょう。
真実は誰にも分かりませんが。。
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ナプキンの芸術♪
宮殿内部の装飾や調度品はどれも豪華で輝かしい、美しいものばかりなのだけれど、
必要以上であるようにも感じ、私はそれらを眺めていて
綺麗さに対する喜びと同時に、むなしさや寂しさも覚えました。
宮殿の中で暮らす事は、とても長い時間と、寂しさと、しきたりと・・つき合わなければならなかったのではないでしょうか・・
前日シェーンブルンの広い広い空間やお庭に立ち、そんなことを思ったのを思い出しました。


市民の間の貧困も大変なことですが、人それぞれ生まれ落ちた環境の中での苦労は変わらないと思いました。


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* topへ *  wrote in April 2007







 ベートーヴェンハウス(パスクァラティハウス) Pasqualatihaus

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フィデリオの表紙。
自筆譜は走り書き風。
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てくてく歩いていてここはどこだろうと地図を見ると、ベートーヴェンハウスのちょうど前にたっていました
寄ってみることにしましたが、見渡しても看板も何もないし、入り口も分かりにくいので、誰も気付かなそうでした。

1階に記念グッズのショップがあって、真っ暗な、二人やっとすれ違えるくらいの幅の螺旋階段を上がっていくと5階が記念館になっています。
1804~8、1810~14年に彼が住んだ家で、交響曲4,5,7,8番、告別ソナタ、ピアノトリオなどなど、ここで作曲されました。
モーツアルトの家よりもさらに普通の部屋。床は板がきしきしする感じ。天井も低めで、
日本のマンションをもう少しこじんまりした感じでした。
お客さんは私しかいませんでした。
自筆譜はモーツアルトやショパンとまた全然違って、ほとんどの線や音符の丸が流れ気味。
音がよく分からない譜もありました。
急いで書いたのか、普段からそうなのか、、 どちらにしても
待っていられない?ような・・・彼の性格が表れているように思いました。^^

ショパンの部屋は家具が置いてあったり、壁もきれいに飾られていましたが
こちらの部屋はどちらかというと殺風景で
家具が少ないからだけでなく、壁やドアの装飾もほとんどありませんでした。

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大きなベートーヴェンの肖像画に見つめられながら30分ほど滞在しました。
窓からは壮麗なウィーン大学が見えました。

* topへ *  wrote in sep 2007


 

friends * przyjaźń

さて、ポーランドでは素晴らしい出会いの連続でした。
街や自然やショパンの足跡はもちろんですが、すれ違う人、先生、ピアニスト、そして友人達♪

よく考えてみると、私は中高の頃からずっと、
人とあまり音楽の話をしないようにしていたみたいです。
ちょっと独特な世界だということを感じていたからでしょう。。
家族も親戚にも音楽家はいないし、
周りにも音大に行く人は友達の友達の友達に1人いるかいないかくらい。
生活スタイルにしても奥深い話にしても、
専門的な道で弾いている人にしか通じない事もどうしても多いので
話題に出さず1人で処理することが
無意識の内に当たり前になっていたように思います。
(でもそれは特に苦痛でもなく普通のことでしたよ^^
それに分野が違っても共通する楽しい話はたくさんありますから・・^^)

そんな中で、セミナーという場所は、
勉強できるだけでなく、いつも、音楽が分かち合える場所の1つでした。
友人に言われて気付きましたが、"研鑽"はいつも自分との戦いで
ある意味孤独な作業ですものね。。
音楽が心から好きな人達と、演奏とその生活の喜びや苦悩を思う存分語れる場所は
時に必要かもしれません^^

そして、今回は特に、ポーランドという土地であること、
そこを選んで来るということが大きかったように思います。

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photo by M . K

ポーランドには、たぶんショパンが好きでないとなかなか行かないのではないかと思うんです。
直行便もないし、言葉も英語はあまり通じません。
ドイツやウィーンやフランスのセミナーの方が行きやすく、留学生もそちらが断然多いです。

なので、ポーランドへわざわざ集まってくる人達は、
年齢も性格も様々だけれど、何か自分と共通の感覚を、もともと持っているように感じました。

目に見えないのだけれど、ある風景や音の中に起こる空気・・雰囲気?の変化に私がびっくりしていると、
隣で同じようにびっくりしている人がいるのは
とても滑稽なことであり、とても嬉しいことです。
その良さ、美しさ、哀しみを同じ量で感じることで、それが何倍にも膨らみました。

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Chopin Academy Tシャツ頂きました(笑)

本当にありがたい旅でした。
今、出会って1年も経っていないけれど、もっともっと昔から知り合いだったかのようです

音や風景・物事から何かを同じように感じることは、素晴らしい信頼を運んでくれます。
そう感じるのなら、あれも、これも・・・と無限に広がるのです^^

きれいと思ったり、哀しいと思う心は
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いざという時のその人の行動の基準になってくれるものであるように思います。
人は、時に間違ってしまったりする事もありますが、
それでも深いところでいつも信頼を持っていられるのは
その心が人にあるからであるように感じます。

それはまさにショパンの心・・・
レッスン中にもよく先生がおっしゃった 
" serce (心) "  に繋がってゆきます。

ショパンのセルツェがひき逢わせてくれた、数々の心でした♪

wrote in 30 Dec 2006

 

 historia * History

* アウシュビッツ -Oświęcim-

今年のセミナーにはアウシュビッツに行く予定は組み込まれていませんでした。
けれど、ここまで来て行かないのは・・・という思いがみんなの中にあり、
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クラクフ観光の前日の夜に、クラクフは見れなくてもいいから自分達でタクシーで行こう!ということになりました。
当初お姉さまチーム?→の4人だけで行くつもりでしたが、他のみんなも行きたいということで、結局全員で。
クラクフをガイドしてくださる予定だったアンナさんに会った途端に「ごめんなさい・・・」と事情を説明すると、彼女も一緒に来て下さることになり大きなタクシーの手配やアウシュビッツでのガイドもしてくださいました。


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Arbeit Macht Frei(働けば自由になる)
と書かれた門
アウシュビッツはポーランドではオシフィェンチムOświęcimと言うそうで、すぐ近くにもビルケナウというさらに大きな収容所があります。広島の原爆もつらい歴史ですが、こちらはじりじりとした苦しみが大きい分、とても重い気持ちになりました。
到着して、その広さに驚きました。いくつもいくつも棟があります。
電車1~3両分くらいの部屋に、自分の背丈の上までいっぱいに積まれた靴ばかりの部屋、かばんばかりの部屋、、めがねの部屋・・・・進むにつれてみんなどんどん無言になってしまいました。
75kgで入所した人が、1ヶ月で25kgになってしまった写真などもたくさんありました。
ベットも布団などなく硬い床の上に布があるだけ。
地下牢などはその暗さと湿気、暗い石の壁に押しつぶされそうでした。
立ち牢といって、日本の公衆トイレよりも少し狭いくらいの広さの場所へ4人いれられて、毎日そこで立ったまま寝なければならない人達もいたそうです。ガス室や遺体焼却炉の部屋にも入れました。
「死の壁」という銃殺場へ行く廊下を説明してもらいアンナさんが先導されましたが、足が動かなくて・・そこに入っていくことができませんでした。

どうして同じ「人」がこんなことをできてしまったのだろうと、信じられない思いで本当に悲しくなりました。悲しいという言葉では表現しきれませんが。。  日本に帰ってこんな本を読みました。
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ビルケナウ電流が流れていた鉄線で
囲まれています
冬でも薄い生地の1枚の服に素足
だったそうで点呼だけで
丸1日かかったそうです。


* クラクフ -Kraków-


クラクフは17世紀までポーランドの首都であり、日本で言うと京都のような街。ワルシャワ、ウッヂに次ぐ大きな都市でヨハネパウロ2世さんが通った大学や大司教を務めた教会のある地でもあります。
ワルシャワから南へ電車で2時間半くらいです。上記の通りアウシュビッツまでいったのでクラクフの観光は1時間ほどしかできませんでしたが、ここはワルシャワと違って戦災に合わず中世からの街並みが残っていて世界遺産となっているため、教会の石の壁の欠け方などにとてつもなく長い歴史を感じました。
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*ヴァヴェル城の大聖堂。
裏手にはオスカー・シンドラーの
住居があったそうです。
*ヴァヴェル城旧王宮の前で。左端がアンナさん。ポーでは彼女とアリちゃんと2人のガイドさんにお会いしましたが、日本人よりも日本人らしい・・という感じで丁寧でしとやかな素敵な方々でした。*ヴァヴェルの塔
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*ヴィスワ川。ワルシャワまで続いている同じ川です。下に小さく龍の石像が写っています。龍はクラクフのシンボルだそう。ワルシャワには人魚がいましたし・・水に関係するものが多いのですね。*街には時々馬車が!ショパンの時代は
馬車の時代。石畳をゆく音や揺れも
曲の中に入っていることでしょう。。
*お昼はタクシーの中でサンドイッチのみだったのでみんなペコペコでした。
やっとご飯!優雅なピザハットです。
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*このどちらかの教会がすごく古くて13世紀くらいと言っていたような。。。
忘れちゃいました。ごめんなさい。。たぶん左?
*聖マリア教会。
ここは中がすばらしいそう。
ラッパで有名な教会です。

Phrase >> Akademia Muzyczna im. Fryderyka Chopina >>  Historia * ポーランド歴史

 

 Kuchnia Polska * Polish Cuisine 

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*żurekジュレックというライ麦を発酵したポーのスープです。少しすっぱいです。でもお店によって味が違いました。他にもスープはたくさんあって寒い中あったまってとってもおいしかったです。
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*ピエロギというポー料理。水餃子のようなもので、でも中身は色々☆デザートみたいに甘いものもありました。
さて食生活の方は、朝は部屋でパンとソーセージなど、ランチは学食など、
夜は外で食べたりジェカンカのキッチンで作ったりしていました。
買い物や注文は一苦労でした
「ぷろしぇん ふるぃとゅき(・・;)なヴぃのす・・」(フライドポテトを持ち帰りで・・)を3回ゆっても通じないので
最後にポツリと「French fries」ってゆってみたら
「ah~~♪」って・・。英語通じるし・・
でも英語はたいてい20代の人くらいまでしか通じませんでした。
まぁでも、そんなお陰でポ語を使う機会が持てました。

ごはんに必須なポ語は、
proszę ぷろしぇん /please
to とー /this
na wynos なヴィのす /(with)takeout
i いー /&
jeden いぇでん /1
dwa でゅヴぁ /2
sto g ストグラム /100g
rachunek らふねく /check
tak たく /yes
nie にぇ /no
dziękuję じぇんくぃえん /thank you

くらいでしょうか。。これでなんとかなりました
ごはんの時は特に指さし会話帳が大活躍してくれて、
私も一番しゃべろうとしてました。
やっぱり食べ物のためならがんばれるみたい。。

せっかくだしと思って、私は日本食を全く持っていかず、向こうのものをたくさん食べましたが
日本の味付けと似ている物も結構あり、特に和食が恋しくはなりませんでした
ビゴスというお肉?と野菜?を煮て炒めたような料理は切り干し大根と同じ味でしたよ☆?

主食はポテトで、ソーセージや乳製品・スープなどがお国料理みたいです。
言葉にしてもそうですが、やはりドイツとロシアの中間という感じがしました。

*ジェカンカのキッチン。コンロとオーブンが使えました。
右の写真の手前の瓶はchrzanフシャンという西洋わさびで主にソーセージにつけて食べますがこれがおいしかった☆
わさびほど辛すぎず、すりおろし生姜のような食感?初めて食べました。
CIMG1525.jpgCIMG1526.jpg
CIMG1532.jpgCIMG1530.jpg *旧市街にあるレストラン。通訳の留学生さん達も一緒にちょっと高級なお店へも行って見ました。といっても・・・ポーの食費は日本の3分の1くらいですみました。ポーの留学事情やロシアにいた子の話がきけました。ロシアはやっぱり留学生活大変そうでしたでもYちゃんの演奏はその中の良い教育とYちゃんの感性がじーんと感じられてとっても良かった心に残ってます。
wrote in 1 Apr 2006
Phrase >> Akademia Muzyczna im. Fryderyka Chopina >> Kuchnia * ポーランド料理

 

 Pogoda * Weather  


出発前には-30度を記録したりでその寒さにドキドキしていましたが、私の滞在中は-16度~-10度くらいで、結構大丈夫でした。空気はとっても冷たいのですがしっかり着込んでいるし、室内は完全暖房で快適。日本の私の部屋の方が寒く感じるくらいでした。CIMG1386.jpgCIMG1468.jpg
とはいえ-16度の日の朝などはほっぺが痛かったです。マフラーを口の辺りまで巻くのですがそれが息で凍りましたダウンのフードは日本ではかぶる事はまずないですがこれをかぶるだけで寒さが全然違う☆手袋もしていないと手が真っ赤になりました。右の写真はワルシャワ市内を流れているヴィスワ河です。表面は真っ白に凍っていました。CIMG1506.jpg

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ある日練習室で練習していると友達が「青空でてる~~~!!!」と入ってきました。ほとんどの日が曇りで白い空の冬の北東ヨーロッパですが滞在7日目に初めて太陽が見れ感動でした。日に照らされた雪景色はキラキラとってもきれいで、また自分も日を浴びるととっても気持ちが良かったです。太陽の光は元気も運んでくれますね1~2時間の日照で雪が溶け、またすぐに凍ってつららの芸術作品がたくさんできあがっていました☆

初めての雪国対策に、コロバンドを買っていってみましたが、なかなか歩き易くて活躍してくれました他のみんなは厚いゴム底の靴をうまく見つけていたようでそれを履いてきていました。でも防水でない靴の子は、雪の汚れでまるで違う靴のように変色しちゃっていましたがかわいいピンクだったのだけれど・・
でもみんなも私も使い捨て覚悟で靴を用意しましたが結構大丈夫でした。留学生は普通に細いヒール靴もはいていましたよ
順調に歩き続けていましたが・・・最後の日に雨が降り、そして止んだ後は大変でした
歩道にはビルの上から氷のかたまりがドーーン!!っと落ちて!!危険!!
そして滑る滑る ・・・とうとうコケマシタ1度こけてからは一気に恐怖心がでてしまって、帰り道大変でした

wrote in 10 Mar , 27 Jun 2006

Phrase >> Akademia Muzyczna im. Fryderyka Chopina >> Pogoda * 気候


iPad操作性改善用暫定コード(ver1.0.0.121220)