Scène de la musique à Varsovie
ポーランド語 * ショパンとオルガン * フィルハーモニーホール * ワジェンキコンサート * バレエ



8分音符(*゚▽゚)x2Beamed-03:LitePurple:(色付-暗い背景用) ポーランド語

ぶれぶれですみません


ここはヴィジトゥキ教会です。
ミサの途中ポーランド語の歌もあって、言葉がとてもきれいでした。
子音のすれるような音はちょっと鳥がしゃべる音に似ているように感じます。
耳にとても心地よくて、好きです。
マズルカを弾いていても、装飾音や和音の重なり方がこの言語と同じように響いてきこえます。

外国語は音楽を聴いているようで楽しいです。
鳥の声のような音をずっと聴いていると、脳がすっきりして血がサラサラになる感じがします
ポーランド語などもそれに近いものを感じ、滞在中ずっとそんな音に囲まれていたため・・・
実は成田に帰ってきて一番に感じたのは、頭の中に響いてくる響きが低いということでした。

調べてみると、日本語の周波数はとても低くせまいそうです。

日本語125~~~1500ヘルツ
中国語  500~~~~~~3000ヘルツ
ロシア語125~~~~~~~~~~~~~~~~~8000ヘルツ
ドイツ語125~~~~~~~3000ヘルツ
フランス語    1000~~2000ヘルツ
イタリア語           2000~~4000ヘルツ
英語           2000~~~~~~~~~~~~~~~~12000ヘルツ
米語   750~~~~~~~~~5000ヘルツ

ポーランド語はドイツとロシアの間くらいではないでしょうか。
これを見ると、日本の音楽が、頭の中でコロコロというよりも、おなかに響いてくる・・
その理由がわかる気がしますね^^

さて、なぜこんなに近距離で聴いているのかといいますと・・
こんな出来事がありました。


wrote in 13 July 2008    b a c k <<  *  t o p △


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8分音符(*゚▽゚)x2Beamed-03:LitePurple:(色付-暗い背景用)ショパンとオルガン

ワルシャワについて、ホテルに荷物を置いた後、
まずは聖十字架教会でショパンの心臓にあいさつをして^^
そのあと夜のコンサートまで、サスキ公園へお散歩・・・のつもりが
ちょっと立ち寄ったヴィジトゥキ教会に長居することになりました。

この教会はミサ時以外はドアに鍵がかかっていて
他の教会とは違って中まで入れなかったことが多く、前回も1度しか入れませんでした。
でもこの時ちょうどミサ中だったので、幸運にもまた入ることができたのです

ここはショパンがオルガンを弾いた教会です。
この教会は幸運にも戦争で破壊されなかったため、内部の装飾は当時のままだそうです。
ショパンはワルシャワ高等学校の時(15歳)オルガニストに指名され、毎週日曜日に弾いていました。
このオルガンは当時から変わらず残っているもので、パイプはとりかえられましたが、
2~3本は当時のままのパイプだそうです。


2年ぶりのヴィジトキ^^ 聖堂後方で正面の絵を眺めながら立っていました。
この絵のマリア様は水色の服を着ていて、それがとてもきれいで、以前からお気に入りでした。

そうしていると、シスターが通りかかり、脇のベンチに座り、私たちに手招きをします。
絵を見ていたいな・・と思いつつも、せっかくのご好意なので座りに行くことにしました。^^*
そこからはちょうど、上のバルコニーとオルガンのパイプが見えました。


すると・・・ミサ中、バルコニーのオルガニストさんがなぜか立ち上がり、私たちを見つけると
上から手招きして「(ここへおいで)」と言っているようです。

?!?!?

私は実は2年前から、次にワルシャワにいけたら、この教会のショパンの弾いたオルガンを
弾いてみたいな・・バルコニーのオルガンを見学できたらいいな・・・と思っていました。
それでこの日この時、教会に入れたけれど、ミサ中なのでだめだなぁ・・まぁいっか・・・
と思っていたところだったのです。

突然の展開にびっくりしつつ、オルガニストのおじいさんが示した教会後方にあるドアをあけると、
古い木の螺旋階段がありました。
木目も見える黒ずんだその階段は、角がもう丸くなっています。

そうして、暗く狭いその階段を昇り始めようと、ウキウキと階段に足が触れた瞬間、
私の目からは突然、大粒の涙がでてきてしまいました。

すごくすごく柔らかく優しい、澄んだ心のようなものが、体を通り抜けたように感じたのです。
うれしいのでも悲しいのでもなく、それはあまりにもきれいで優しい感触で。。
思いやりのかたまり、とでもいいましょうか。。
そしてそれは、時折、ショパンの音楽の中で感じる感覚と似ていて、
「ショパンだ。。ショパンがここへ運んでくれたのかな。。」 と、、、
おかしな話のようだけれど、この時、本当にそう思って、その温かな心のようなものに
涙が止まらなくなりました。



昇りきると、先ほどのオルガニスト、タデウシュさんがやさしい微笑と握手で迎えて下さり、
それはまるで親戚のおじいちゃんのような、とても温かい空気でした。
私たちはとにかく「ジェンクイエン(ありがとう)」と何度も言っていました。

今から考えると、階段を昇ってきたアジア人が急に泣き顔になっているのです。
とてもおかしなことですが、タデウシュさんは全て解っているかのように
「ショパン・・・」とだけ声をかけてくださいました。


ミサが終わると、「どうぞ弾いてみてください」とオルガンを弾かせていただけました。
下ではお祈りしている人がまだまだいる中、Mozartのアヴェ・ヴェルム・コルプスを弾くと
タデウシュさんが合わせて歌ってくださいました。


天井に近い場所から音を発する。。。
音が降っていくのが見えるような、とても不思議な感覚でした。



階段を昇りタデウシュさんに「Chopin ・・・ 」と声をかけられるまで、
私、友人、シスター、タデウシュさん、その4人の間で
言葉ひとつ交わさなかったこの一連の出来事は、
私たちにとても大きな感動を与えました。


教会を通りかかった時間と、シスターが通ったこと、私たちがベンチに座った時がちょうど
奏楽の間であったこと・・・
すべてほんの数秒のタイミングの出来事で、それがずれていたら
起こらなかった事でした。
そしてその数秒は、シスターたちの無言の気づき・導きによってさらに次へ繋がったこと。。。
感謝がとても生まれました。

シスターはその後すぐに消え、ただの「パイプ」であっただけ・・・
神様に遣えるとは、このようなことだと思いました。


私は特に宗教はしていないけれど、
いつも自分を見ている、何か目に見えない大きなものは存在すると思っています。
そういうものへの感謝は、不安や不満から自分を遠ざけ、
そんなことよりも
今自分にできることをさせていただこうという心を与えてくれます。

シスターやタデウシュさんのように、無心に、無言で。。


シスターにお礼を言えなかったのが心残りですが
彼女の姿はきらきらと、心に残っています。




ショパンを巡る旅では、いつも何かこんな偶然のプレゼントがやってきます。
あたたかなショパンとの出逢い。
私の場合は、この教会でした。


wrote in 9 August 2008    b a c k <<  *  t o p △


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8分音符(*゚▽゚)x2Beamed-09:Tanpopo(白い背景用) フィルハーモニーホール

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ここは5年に1度のショパンコンクールが行われている会場です。
アルゲリッチやブーニン、ツィメルマン、アシュケナージ、現在名前を聞くほとんどのピアニストは、このワルシャワでのショパンコンクールをきっかけに世界での活動が始まりました。
このコンクールが他のコンクールと違うのは、”ショパンに忠実に・・”を伝統として譲らないこと、と言われています。
審査方法については賛否両論あるそうなのですが、ショパンの思っていた音楽や信念が残ってほしいですし、これからもこのままの理念で審査されるといいなと・・思います。^^

"葬送"にでてくるショパンのセリフにこんなものがあります。

(死期が近づくのを感じる病床で・・・)
「一人死ぬ度に彼らばかりでなくその技術までもが道連れにされてしまうという分かりきった事実が、彼の心を強く打った。自分が死ねば、失われるのは決してこのからだばかりではない。音楽もだ。彼の無念はまさしくそのことであった。誰も自分の演奏したようにはピアノを弾かないだろう。自分の演奏が、その死の瞬間、この世から一切消えてなくなってしまうのだ。ああ、なんということだろう!まだ音符として姿を現していない数多の曲がある。それらすべてがこの命とともに消えてなくなるのだ。僕は思っていたよりもずっと音楽そのものだった。僕こそが音楽だった。」

「僕が死ねば、・・・・僕はあるいは僕の作品となるのかもしれない。そこから零れ落ちた僕を拾い集めてくれる人はいないだろう。----それでも構わないんだ。だけど、例えば君(ドラクロワ)の絵が、君がいなくなったとしてもずっとそのままの姿で残っていくのと違って、音楽はさまざまに演奏者の手が加わって、きっと百年後には僕が考えていたのとは似ても似つかないような姿になっているだろう。現に今でさえ、僕の目の届かないところではそんな風に演奏されている。モーツアルトにしたって、カミーユ・プレイエルのように巧みに演奏できる人は今では本当に稀だから。・・・・そうして僕が、音楽の姿でしかこの世界に残っていかないのだとするならば、それは結局僕自身が時間の中で変容していくということなのではないか。・・・・」 ( ----は省略部分。)
(平野啓一郎「葬送」第2巻下より  新潮文庫 )


ポーランドの先生たちが、美しい音で、わざとらしくなく自然に、感傷的にならないで、気品をもって・・・と、
ショパンのスタイルを大事にしているのは、音楽が素晴らしいからだけでなく、
ただ、ショパンそのものの存在を大事にしたいからだとも感じます。
それは、自分の亡くなった家族の一人の痕跡を大事にするように。。。
良い面も、弱い面も含めて、○○ならこうする、○○ならこういう風に考える・・
そんな風にとらえると、すごく良い違いであったとしても、
本人とは違うように語り継がれていくようなことは、とても寂しいことだと・・分かります。

そんな心の近さ・・・自分が触れ合う人を家族と同様に考えるような心の距離は、
とてもポーランドらしいようにも思います。

2年前、ポーランドに行ってから私自身一番変化したように感じるのは、実は”心臓の感覚”なのです。。^^
ショパンの心臓の眠る柱に会ったからなのでしょうか?^^
それ以来、心臓で色々なものを感じる感触がわかりやすくなりました。
開いたり熱くなったりあたたかくなったり痛くなったり・・・
”心の交流”という言葉がありますが、まさにそれが、実際目に見えるように意識に上り、
それは音楽面だけでなく、私にとってとても貴重な気づきだったと思います。


ショパン紀行 110

さてさて、そんなショパンが演奏しつくされている歴史的なこのホールにおいて、
今回卒業演奏会に出演する山本貴志君がご招待して下さり、音楽を聴くことができました。
心が全開な演奏で、こちらも全開になります。^^
このホールは小さい頃テレビのショパンコンクールの特集を母がビデオに撮ってくれて、
私はまだ特に興味があった訳ではありませんでしたが、何度か流してはいつもこのパイプオルガンや舞台袖の階段の下に何があるんだろう・・・と想ったり^^ なんとなく眺めていました^^
なので目の前にある舞台がとても不思議で・・・過去の自分を同時に感じるようでした^^

wrote in 7 July 2008    b a c k <<  *  t o p △


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8分音符(*゚▽゚)x2Beamed-15:IceBlue(白い背景用) ワジェンキコンサート

初夏から秋にかけて、日曜日のお昼と夕方のワジェンキ公園では
ショパンの曲ばかりのピアノのコンサートが開かれていて、誰でもいくことができます。

ワルシャワ滞在中は真夏日ばかりでとても強い日差し。
コンサートの間ずっと日なたで聴いていたので軽く日射病?になりながらも
風や鳥の声と一緒にピアノの音を楽しみました。
聴いている人たちを見ているのもなんだか幸せでした。

ヨーロッパはクラシックのコンサートを楽しむ事が
日常に普通に取り入れられているような感じを受けます。
公園でもコンサートホールでも、有名な曲でもそうでない曲でも、
それぞれ感じ入り、みんなリラックスして楽しんで聴いている様子が伝わってきます。

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鴨も聴いています^^
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wrote in June 2008    b a c k <<  *  t o p △

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