Domaine de George Sand à Nohant
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「ジェラゾバヴォラに似ている・・・」
最初にこのノアンを訪れた時、ショパンはそんな風に言いました。
(ジェラゾヴァヴォラは、ポーランドのショパンが生まれた地です。)
パリから電車で2時間、バスで1時間離れたこの村は、とてものどかでゆるやかな場所でした。
ここにはショパンの恋人、ジョルジュサンドの館があり、ショパンは彼女と一緒に
毎夏ここで過ごし、その7年間、ほとんどの作品がこの地で生まれました。


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パリのAusterlitz(オステルリッツ駅)から中継地のChateauroux (シャトールー)へ向けて出発。
今は電車がありますが、ショパンの時代はノアンまで30時間馬車に揺られていた道のりです。
現在日本からヨーロッパへの飛行機が約12時間ですが、その倍以上の30時間・・・。。
頭がぐらぐらになりそうですね^^*
ショパンの時代まだまだ馬車が主流で、今で言うタクシーのような辻馬車から、
バスのような乗合馬車、長距離の駅馬車などがありました。
ショパンは自分の馬車を持っていたのでそちらも利用したり、客人を迎えにいかせたりしました。
馬車のニュアンスといえば、
ベートーヴェンの作品の左手に、でこぼこ道を走る様子がよく現れてくる気がします。
ショパンは・・・葬送ソナタの左手などはそんなニュアンスともとれますね。。^^*
モーツアルトは手紙の中で馬車の様子をこんな風に言っています。
「魂が放りだされそうな駅馬車で、夜の間一睡も出来ず、座席は石のように硬く、ずっとクッションに両手を突っ込んで、お尻を中に浮かせて行った」 |
(小学館 高橋英朗「モーツアルトの手紙」) |
「夜通し凹凸道に揺られたせいで、地面に降りても暫くまっすぐに立つことが出来なかった。 下半身が熱を含んだように痺れていた。車輪の振動が、一緒に馬車を降りて来て、尻に張りついているようであった。周りを見渡すとみな同じような前屈みの姿勢になってよろよろと歩いている。そこから腰の痛みを堪えつつゆっくりと状態を起こす様が、何とも言えず滑稽である。」 |
(新潮文庫 平野啓一郎「葬送」1巻上) |
そんな思いをしてまで毎年ノアンへ通うのは、やはり特別なことだと感じました。
こんな後にふかふかのベッドに寝転んだりすると至福だったことでしょう^^
さて、そんな長い道のり、ショパンたちはシャトールーなどで休憩や宿泊したりしながら
ノアンへ向かいました。
シャトールーに着くと駅前には大きな教会がありました。
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建立碑をみると古い教会だったので、ショパンも訪れたかもしれませんね。
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それにしてもフランスの教会はどれも大きいです・・・ ワルシャワの2倍? |
シャトールー駅からバスに乗り換えてNohant-Vic(ノアン村)を目指します。
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途中は右も左も広い広い平原。
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ひつじ |
小さな町を通って・・・
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かわいすぎます![]() |
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きゅんきゅんです![]() |
そしてまた平原が続きます。
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1時間後、ついにノアン到着です。
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ベリー地方。フランスのちょうど真ん中に降り立ちました。
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wrote in 25 Oct 2008 * b a c k << * t o p △


~・ Tranquillité ・~
バスを降りると・・・ 静かです。 のどかです。
でもポーランドのワジェンキ公園とはまた違う空気。。
あちらが「清」「澄」・・水が流れるような音が空気のなかに聞こえるよう・・と表現するなら、
こちらは「牧歌」「平穏」・・・ゆっくり流れる時間の音・・もう少し体の下の方に響くような安心感のある音・・
そういったような空気に感じました。^^
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どこを歩いても、視界の3分の2は空でした。
ポーランドもそうですが、視界の半分以上が空という清々しい感覚は
ショパンのどんな曲にも保たれている清らかさと、深く繋がっているように感じます。
ノアンの広い空にかかる、空気のカーテンのような層は、初めてだけれど知っているような、
そんな安らげる心地で、バラード4番の前奏が思い浮かびました。
そして、ショパンを追って来たけれど、ここはサンドの土地であることを何よりも強く感じました。
ショパンらしい、というよりも、サンドらしい、土地でした。
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改めて考えてみれば、ここは2人の芸術家が次々と
”無”から”有”を生み出していった土地です。
広い空、雲の色の移り変わり、都会から離れ、でも繋がっているというほど良い距離感。
周りには平原しかない隔離されたこの場所では、
自然に自分の心の奥のハーモニーが聞こえてくる・・・。
ショパンの中に眠る才能に、ショパン自身
一番近づける場所だったのかもしれません。
written in 12 Feb 2009 * b a c k << * t o p △
~・ Nostalgie ・~
風のハーモニーと木々のざわめき・・・刻々と変わる空と心の色・・・
お庭を歩いている間はずっと、ソナタの3番(1st mov.第2主題~)が頭の中にとても自然に流れていました。
当時、ショパンのピアノの音色も、そんな風にお庭に香っていたことでしょう

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ソナタの3番は、姉のルドヴィカとの14年ぶりの再会を機に、書き上げることができた作品です。
姉妹の中でもルドヴィカはショパンと気質が良く似ていたそうで、
小さな頃は連弾やおしゃべりをよくする、仲のよい姉弟でした。
サンドはこんな風に言っています。
「(ショパンは)愛する人たちから長い間わかれておりますので、ずっと緊張しつづけでおります。・・・長い間彼の考え続けていたことは、彼が愛する人々の幸福と、彼が得た幸福をこれらの人々と分かち合えない悩みでした。 私のできることは何でもやりましたがそのことを忘れさせることはできませんでした。」 「あなた(ルドヴィカ)がおいでになって・・・彼の気持ちから苦々しいものはいっさい消え去って、勇気としっかりしたものがもたらされました。 たくさんの傷が癒され、新しい希望に胸をふくらませ ・・・ (あなたでなければ)こんなにひと月も幸せを楽しむことなぞ、できなかったでしょう。 あなたはショパンがこれまでにかかった、最高のお医者様です。」 (ショパンの手紙) |
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ショパンはノアンにルドヴィカが来てくれた時の様子を、
「幸福で気が狂いそうだ」と言っています。(vーv。)
この時期のショパンの音楽にある、
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ショパンの部屋の窓 |
この姉との1ヶ月の時間がとても影響していたのではないでしょうか・・?
ショパンは、姉が帰ってしまったあとの不在の風景の中に、
いつもその面影や幻想を描いていました。
姉が過ごした部屋に入ってはその姿を想い、馬車が停まっては
姉が降りてこないかと思い・・・
・・・そう思うと、今の時代はどこにでもすぐ行けるし、電話もメールも
出来るし・・・ でもこのような時代や状況だと、1度会えなかったら
もう2度と会えないかもしれない。逢う喜びや別れる寂しさ、求める心が
現代のそれとは少し違うでしょうね。。
ソナタ3番の他に、彼の作品の中でも特に美しい”舟歌”や
”幻想ポロネーズ”、”ノクターンop.62”、”マズルカop.59”などは
こんな時期に作曲がすすめられていました。
揺るぎないあたたかさと、そして、それとは対極にある様々な想いの中で・・・。
written in 12 Feb 2009 * b a c k << * t o p △
~・ Existence ・~
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2階中央にあるショパンの部屋、2階廊下、階段とエントランス。 寒いのでショールを巻いていたら壁紙と同じになりました(笑) |
2階のショパンの部屋の扉だけは防音のため2重にされています。(写真左と右)
当時は隣の部屋と繋がって1つだったそうです。
ショパンは作曲を全身全霊で行っていました。1小節作るのに100回書き直したり。
公に出すまでには1~3・4年やそれ以上あたためては推敲し、不完全と思われるものは
決して公表しませんでした。(遺作が多いのはそのためです。

現代の演奏者も同じように、1小節、1音について、感じるある音色を求めて、
何百回と確かめていると思います。
それは、そんな風にして創り出された作品なので、自然にそうしたくなるというのもあるのでしょう。

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1階に下りまして、洗面所 ・ キッチン。 ショパンは朝はよくチョコレートを飲んでいました。(写真右のショコラティエールは実際使われたものだそうです。) |
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食堂や客間。 |
この館では、夕食は集まる、という決まりがありましたが、それまでは各々自由に過ごす
という風にされていました。
パリでの生活もそうでしたが、サンドとショパンは一緒に過ごしながらも、いつも適度な距離を保っていました。
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1階の窓 ・ 屋敷正面の菩提樹 ・ 裏庭 ・ 敷地内の教会。 |
裏庭のベンチ(写真)では、ドラクロワとよく語っていたそうです。
ドラクロワはノアンに3度ほど訪問し1ヶ月くらい過ごしたそう。
隅の方に座ってみました。
その時に、私はなんとなく自然に、ショパンが隣に座っているのを想像してみていました。
白い柔らかいブラウス、男性独特?の少し硬そうな肌質、高い座高・・・
それは、これまでには思ったことのない、「年を重ねた男性のショパン」でした。
いつも、音楽の中では、性別もなく年齢も超えた「精神」に意識が向いていきますが
でも当たり前だけれど、ショパンは男性で、そして皮膚も変わっていく生身の人間だったんですよね。
実際にここで生きていて、呼吸をして、体の重さを感じて・・・ということを、
なんだかもっと身近に実感した瞬間でした。
ショパンの曲の中の、心臓が血を流すような「痛い音」は、心の痛みだけでなく、体の痛みも実際にあり、
それは切り離せないものだったことでしょう。。
音やハーモニーには、少しの間でも、痛みを忘れさせてくれるものがあると・・・
私は個人的に、思うのですが、
ショパンが自分で奏でる音は、自分のそんな痛みも緩和し、そして力を与えてくれるものだったのではと、
そんなことを思ったベンチでのひと時でした。
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モーリスとソランジュの記念樹 |
1845年頃からは、館内ではサンドとモーリス(息子)やソランジュ(娘)、クレザンジェ(その夫)たちが
始終揉めるようになりました。
(これが本当になかなかすごい揉め方で


そのいざこざから、次第にサンドとショパンの関係にも距離が生まれてきていました。
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たくさん生まれました。
サンドは誰よりもショパンを解ることのできる人でした。
言葉がなくとも、ショパンに必要なものを感じることができ、
それは家族と会えず病弱なショパンにとって大きな安らぎであり、
「音楽」という使命を持ったショパンにとって最高のパートナーでした。
最後は誤解の積み重ねで離れてしまった2人です。
サンドと別れてしまってからのショパンは、本当に枯れた泉のように
頭から、心から、「音」が遠のいてしまい、
作曲もほとんどできなくなりました。
written in 16 Feb 2009 * b a c k << * t o p △


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ノアンで泊まったAuberge(宿泊のできるレストラン)Petite Fadetteです。
ジョルジュサンドの館のすぐ隣にあって、ホテルはここしかありません。
この地帯にはサンドの館とこのオーベルジュと民家が数件、しかないのです^^(あとは草原です。 )
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かわいすぎるお部屋に、到着して15分くらいひたすら撮影会です。 |
ここではピアノが弾けました。
フランスに入ってからは特にピアノに飢えていたので
到着した日も、次の朝も、私たちは水を得た魚のように延々と弾いていました。
ピアノは心も体もリセットしてくれます^^
友人とピアノを弾き合いできるのはとても楽しく嬉しいです。
友人が弾いてくれることで、ちょっと離れるとこんな風に聴こえるんだ

自分が弾いているときには聴くことができない場所や感覚で楽しむこともできます。
他にも連弾をしたり、ソロ曲を右手と左手に分けたり協奏曲を無理やり1台で弾いたり^^
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建物のいろいろな壁の装飾にあたって丸い響きを生み出してくれ、
ひとつの音が自然に次の音にゆるやかな弧を描いてつながってくれます。
このピアノと建物と空気が、旋律を自然に歌わせてくれました。
友人がバラードNo.2を弾いているときに、私が建物内やお庭の方まで歩いていって聴いていると、あちこちでホテルの従業員の方たちも椅子に座って目をつむって聴き入っています

お仕事も休憩して気持ちよさそうに^^*
おこられないのかな~^^と思って見渡すと、チーフっぽい人も手を止めて聴いていました

そうじをしながらリズムを合わせている人もいたり。。
音楽をそっと心で楽しむ、そののどかで緩やかな空気がとても素敵だなと思いました。
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そよそよ |
そんな感じで1時間くらい2人で弾き続け、アンダンテスピアナートを弾きおえると、
気がつけば食事にやってきた白髪のおばあちゃんたちが
ぞろぞろと後ろに立っておられ、目をきらきらとさせて拍手してくださいました。
フランス語で何かだだだだーとおっしゃってくださいました。
外国の方は表情や気迫で(笑)言葉がわからなくても言いたいことがなんとなく伝わってきます。
こういう動物的?(笑)な会話は結構好きです^^
音やニュアンスで感じ取る、演奏と鑑賞の関係に似ているのかもしれません^^
おばあちゃんは大量に話されたあと

伝わった・・ということでしょうか、目をつむる表情で胸にじっと手を当てて、
そして「Merci boucoup、Thank you、 Thank you so much」と握手してくださいました。

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裏の民家に住むおじさん |
私を飛び越えて、音楽はいつも色々なものを運んでくれます。
音楽って本当にすごいなぁと、、音楽と聴く人の間にいる私が
くれぐれも邪魔をしないようにしたいなぁと・・
また原点を感じさせてもらえる出来事でした。
wrote in 19 Nov 2008 * b a c k << * t o p △


さて、Nohantへの行き方は行ってみるまでよく分からなくて・・・旅行中一番の不安でした^^*
アクセスを書いておきます

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往復の指定席を買いました。クレジットカードが使えました。
列車の時間は前の日にホテルの方にネットで調べてもらいました。
駅でサンドイッチと飲み物を買って乗車。
約2時間後、Chateauroux (シャトルー) 駅で降ります。
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そこのインフォメーションでNohant (ノーン) 行きの時間を教えてもらい
時刻表で案内もしてもらえました。
Montluçon (モンリュソン) 行きのバスに乗り、約30分~1時間後、
Nohan-vic. (ノーンヴィーク) のNohantで下車します。
乗るときに運転手さんに確認していたので、間違えて降りそうだったのを止めてらえました。^^
バス停からサンドの館はすぐです。
もう3つ先のバス停(La Châtre)にはMusée George Sand
(ジョルジュサンド博物館) があります。
ノアンでは、6月はFêtes Romantiques de Nohant (ロマン派音楽祭)、
7月はRencontres Internationales Frédéric Chopin (ショパンフェスティバル)
(イヴ=アンリ氏監督)をしていて、コンサートがたくさんあるそうです。
過去にはマリア・ジョアン・ピリスさんやダンタイソンさんなどが出演されています。
私たちの渡欧はちょうど6月の音楽祭が始まる頃に合わせましたが、
プティファデットの宿泊がとれなかったので音楽祭の前々日に訪問でした



La ChâtreやChateaurouxに泊まるのも良いかもしれません。
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ちょっと福岡県や九州の形に似ているフランス・・・ |