Eglise de la Madeleine

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1849年10月17日2:00am ヴァンドーム広場の家でショパンは亡くなりました。39歳でした。
彼は亡くなる2・3時間前に、ベッリーニとロッシーニ、ヘンデルの3曲のアリアを歌ってくれるよう
友人のポトツカ夫人に頼みました。それが彼がこの世で聴く最期の音楽となったと言われています。
ショパンは亡くなるその時も、母親にはとうとう会えないままでした。

死の床のショパン
奥がルドヴィカ 泣いているのがソランジュ(サンドの娘)


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彼の葬儀は3000人入ることのできるマドレーヌ寺院で10月30日に行われました。
喪主は姉ルドヴィカです。
モーツアルトの「レクイエム」やショパンの「葬送行進曲」が奏でられる音楽葬となり、世紀の作曲家の葬儀は、教会の中も外も人で溢れかえっていたそうです。

パリらしい、とても大きな教会でした。
この教会と向かい合ったずっと先には、同じようなエンタシスの柱を持った
国会議事堂があります。

偉大な作曲家の葬儀に・・と、当時の人々のショパンへの親愛もとても感じられる
立派な教会でしたが、とにかく大きく。。^^*
大きすぎる、人の多すぎるホールは苦手だったショパンですから、
なんだか、ワルシャワの小さな教会に早くつれて帰ってあげたいような
そんな気持ちにも、ちょっとなってしまいました。^^
でも、お別れしたい人がたくさんいたでしょうから・・・
この大きさになってしまいますよね。


「私は、どんな楽しいときでも、私の心の奥底にはある情緒がいつもまとわり
ついています。それはポーランド語でしか表現できません。
ジャル(ŻAL) という情緒です」

ŻALとは、愛するものの不在、哀、嘆、儚、諦、悔、憧、懐、望、愁、
などの複雑な感情。
ショパンはいつも何かしらの孤独の中で生きていました。
でも、遠くからいつも幸せと健康を祈ってくれていた家族、
その大きな愛情・願いが、彼の体の奥には常に通っていたことでしょう。
どんなに苦しくても生きたのは、その人々の想いを受け止めていたからだと
思います。そして、異国で暮らしていても、その優しさ、気品、
素朴で自然な心持ちのため、多くの人に愛されました。

ペールラシューズ墓地へと運びこまれたショパン。
棺の上にはワルシャワを出る時に手にしたポーランドの土が撒かれたというエピソードも
一説として残っています。



ポーランドは、ショパンの生きた時代、ロシア・ドイツ・オーストリアに進攻され
「ポーランド」として地図上に存在していませんでした。
ショパンの目の前で処刑される人もいるような時代の中で、
ポーランドの人々は言語や文化を守ることに命がけでした。
ショパンを国外へと送り出したのも、「ポーランド」を残すためでもありました。
1人の天才に、その国の精神・魂の存続を託したのでした。

ポーランド人たちの革命の気が高まる中で、1人出国することは、
臨終の近い家族・友人を放って旅立つような、つらいつらい、決断だったでしょう。


「僕はみんなの夢です・・・」


切り裂かれるような想いでポーランドをあとにし、ショパンは音楽活動を続けました。
祖国への愛情、無念、遠く離れた人に自分の存在を伝えること、遠く離れた人を励ますこと・・・
彼の音楽の原動力は、ポーランドと切り離すことができませんでした。


ショパンを弾いていると、いつも遠くを想う気持ちになります。
また、これまで会ったショパン弾きのピアニストさん、ポーランドの方や、ショパン愛好家の方たちは、
本人の感情よりもこちらの感情を代弁したり、心配してくれたり、気持ちを先に汲み取って下さる・・・
そんなこともとても多いことに気づきました。
それはショパンの性格とも共通するような・・・じんわりとなる瞬間で、
そんな色々な人との関わりからも、私は「ショパン」を、そして、人や音の温かさを
教えていただいた気がしています。

自分が思いやりを持つ心を大事にしていないと、弾けない音色、気づけないハーモニーがある・・
ショパンを弾くことは、それを知ることでもあります。
それは簡単なことではなく怖いことでもありますが、どんな音楽や想像力にも繋がることで、
いつも振り返りながら大切に気をつけていきたいなと、思わせてもらえるものです。



「音楽」は、人の「外側」を取り払ってくれます。
音の中にある、喜び、悲しみ、安らぎ、孤独、、
経験する出来事が人それぞれ違っても、人が感じることはみんな同じです。

同じだから、みんなで一緒に幸せでありたいと思わせてくれる。
音楽は全ての垣根を取り払って、そんな所につれて帰ってくれるものだと思います。


人の心奥深くに寄り添うショパンの音楽は
今も、これから先の未来も、時代も国も超えてたくさんの気持ちを届け、
人々を慰め、励ましてくれることでしょう。^^ 

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written in Oct 2009

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